アイドルを楽しむこと
特に、48系列について。
直に言って、消費だ。
ぼくたちは少女たちを、消費している。
いかに正当化しようとも、自分が少女たちを消費する構造の再生産に、積極的に加担していることは、事実なわけで。否定できない。
私たち(アイドルオタク)は、そのことを自覚しなければならない。
そして、そのことを受け止めた上で、それでもなお、アイドルを楽しむのかということを、問わなければならない。
オタクであるからこそ、オタクとしての「プライド」があるからこそ、そのことを自問しなければならないと思う。
「アイドルを搾取する運営」と「アイドルの味方である自分」という図式が大嫌いだ。
むろん、運営批判厨うぜえみたいなことが言いたいわけではないです。
自分が、アイドル、大好きなアイドル、を搾取する構造に肩入れしていることの責任を塗りぶすような図式を採用することが、誠実であるとはまったく思えないというはなし。
ちな、誠実とかまじどうでもいい、とかっていうのはまた、べつのはなしです。
さらにちな、そういう人は、「プライド」がないという意味においてぼくはオタクではないと思ってる。
ここまで書いてアレだが、ぼくは、消費されることが悪いと言うつもりはないです。
その構造への加担も、悪いというつもりはないです。そんなこと言ったらモリナガのミルクチョコレート食べれんくなっちゃうし。AV見れんくなっちゃうし。
ただ、オタクを自称する以上、対象に関してありうる責任について、自覚的でありたいなぁ、ということ。
ふむ、オタクを自称する以上、を除けばわりと一般的なとこに落ち着いた。
とりあえず、ゆりあかわいいしにたい